こんにちは。
うらいで~編集長です。
伊那の「あじさい寺」を参拝した後、帰り道は雨が降っていたのですが、もう一つ寄っていきたくて探し当てたのが『仲仙寺(ちゅうせんじ)』です。
《目次》
仲仙寺とは
伊那市の北西にある経ヶ岳(きょうがたけ)山裾(やますそ)で、伊那路と木曽路を結ぶ権兵衛峠の麓にある、「馬の観音様」として親しまれてきた古刹は、別名「羽広観音(はびろかんのん)」ともいいます。
平安時代の弘仁7年(816年)比叡山延暦寺の高僧慈覚大師(じかくだいし)により開創され、開山当初は今とは別の場所にあったといわれ、寺名も「藤宝寺」といいました。 そして、慶弔18年(1613年)現在の地に移り、「羽広山仲仙寺」と改称しました。
昔、農耕馬が家族の一員だったころ、田植えが終わると多くの農民が馬を連れてお参りにきたことから、「馬の観音様」として親しまれ、各所から馬の健康安全を願って馬を連れての参詣が盛んでした。
信濃三十三観音霊場(第二十二番札所)、伊那諏訪八十八霊場(第一番札所)、中部四十九薬師霊場(第十五番札所)に数えられています。
また、仲仙寺の周辺は、県の自然環境保全条例に基づく「郷土環境保全地域」に指定され、自然環境の保全が図られています。そんななかでも紅葉が素晴らしいそうです。

まず寺号標を撮影するために車を停めてパシャリ。すると、その奥に大きな杉の木を伝うように神願様と呼ばれる注連縄(しめなわ)が架けられています。
▼注連縄

車で通るのがギリギリの幅でした。
参道は本堂までずっと坂になっていて、地味にこたえます。

参道を進むと仁王門が見えてきました。そのすぐ隣にある駐車場に停めて参拝スタートです。
見どころ①仁王門

長野県宝である仁王像は室町時代の文亀元年(1501年)に、京都七条の慶派の仏師、康忠の手によって造られたものです。
門に向かって右が密迹金剛(みっしゃくこんごう)で、向かって左側が那羅延金剛(ならえんこんごう)になります。


さらに歩を進めると左手に十王堂が見えてきました。
▼十王堂

十王堂はお寺の庫裏入り口の中門と向き合って建っています。堂内には正面中央に木造朱塗の閻魔大王(閻魔様)が座し、左右に大王を除くほかの十王像(石造)が並び、後ろ側に六地蔵尊が祀られています。
▼閻魔大王

さらに開けた場所に仏像などが並んでいます。
▼水子地蔵

▼巣立ち観音

▼不動明王像

▼馬の石像

では、中門をくぐって庫裏と本坊を拝観します。
▼中門

▼庫裏

こちらにて御朱印を書いて頂きました。
その間に隣の本坊客殿を参拝します。
▼本坊客殿

それでは参道に戻ってさらにどんどん上に登っていきましょう。
参道右手に手水舎があります。
▼手水舎

そしてようやく山門までたどり着きました。左の道を進むと展望台で、右に進むと経ヶ岳への登山道となっているみたいです。
見どころ③本堂(観音堂)

現在の地に移り慶長18年(1613年)に建てられ、およそ160年後の安永7年(1778年)に改築されたそうです。
本尊である秘仏十一面観世音菩薩立像は60年に一度、御開帳されます。 両脇には四天王が奉安されていて、4体のうち持国天、多聞天は昭和49年12月に伊那市有形文化財に指定されています。
見どころ④千匹絵馬


本堂外陣には数多くの馬の絵馬が奉納されています。日本有数の千匹絵馬(縦2m、横4m)など50余面の絵馬が本堂外陣等に掲げられています。
絵馬の他に龍の天井絵もありました。
▼龍の天井画

とにかく建物や絵馬の規模がどれも大きくてフレームに収まりません。
本堂をぐるっと回ると後ろには薬師堂があります。
見どころ⑤薬師堂(瑠璃光殿)

薬師堂は、平成元年(1989年)に中部四十九薬師霊場が発足して、仲仙寺がその第十五番に指定されたので、本堂裏の宝蔵を改修して、薬師瑠璃光殿と改め本堂裏の回廊の壁に祀られていたお薬師様をここへ遷座しました。
最期に鐘楼を見て帰路につきます。
▼鐘楼

鐘楼は平成の大改修の時に、新しく建て替えられたそうです。誰でも自由に撞いていいそうです。
▼相生杉

御朱印

参拝の証として頂いた本尊の「十一面観音」の御朱印です。もう一つ、中部四十九薬師霊場の御本尊として、薬師堂の「薬師如来」があるそうです。
![]() | 価格:2,530円 |

基本情報
【住所】 〒399-4501 長野県伊那市西箕輪3052
【電話番号】 0265-73-5472
【拝観時間】 日中随時
【拝観料】 志納
【駐車場】 無料100台
【公式サイト】仲仙寺 羽広観音 公式ホームページ
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