こんにちは。
真田家ゆかりのお寺を巡りたくて探し当てたのが真田家と徳川家にゆかりのある『芳泉寺(ほうせんじ)』。隣に幼稚園がくっ付いている変わった賑やかなお寺です。
【住所】 〒386-0027 長野県上田市常磐城3-7-48
【電話】 0268-22-1595
【拝観時間】日中随時
【拝観料】 志納
【駐車場】 あり
《目次》
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芳泉寺とは
芳泉寺は、天正11年(1583年)に真田昌幸が上田城の築城に際して小県郡下之条村(後の上田市大字下之条)にあった全称院を上田城下に移転して、常福寺と号したのが始まりと云われている。
真田信之の松代転出後に小諸から移封して上田城主となった仙石忠政が菩提寺の宝仙寺をここに移し、松井山宝仙寺を改称。延宝2年(1674年)忠政の子で二代上田城主政俊の死後、松翁山芳泉寺とさらに改称した。
見どころ①山門
真田昌幸の嫡男・信之の妻・小松姫は、徳川四天王の一人である本多忠勝の娘であり、徳川家康の養女でもあったので、その縁で山門には真田家の六文銭と徳川家の三つ葉葵の紋の両方が刻まれている珍しいお寺なのです。
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見どころ②本堂
上田城築城の際、真田氏が千曲川の左岸にあった常福寺の住職を連れて来て、この地に常福寺を建立。信幸(信之)が小松姫の御霊屋をこの地に建てたとき、大英寺という名称に変更。その翌年、信幸(信之)の松代に移った後、小諸から上田城主となった仙石忠政が小諸の宝仙寺をここに移し、同じ読みの芳泉寺とした。
本堂の入口には、真田家の六文銭、仙石家の永楽通宝銭、松平家の葵、浄土宗月影杏葉 (つきかげぎょよう)の4つの家紋・宗紋が描かれている。
見どころ③小松姫のお墓
徳川家康の重臣の本多忠勝の娘であり、徳川家康の養女である小松姫は、1586年に真田家に嫁ぎました。
晩年は病気療養のため、江戸を出て草津温泉へ向かう途中の2月24日に鴻巣(こうのす)で最期を迎えました。これを聞いた信之は「我が家の燈火が消えたり」と言って悲しんだといいます。そして、芳泉寺を含む三カ寺(他は埼玉県鴻巣の「勝願寺」と群馬県沼田の「正覚寺」)に分骨されました。芳泉寺には、信之が1622年に松代へ移封する際に小松姫の霊屋を松代にある「大英寺」に移すため、芳泉寺に分骨として残されたもの。
本堂裏の墓地に建てられている立派な宝篋印塔(ほうきょういんとう)が小松姫のお墓で、信之が一周忌に建てたもの。石塔の高さは3㍍余、塔身と下壇の石に姫の経歴が刻まれています。
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見どころ④仙石家霊廟
仙石家霊廟は、一辺約2㍍の瓦葺コンクリート造りの塀に囲まれていて、その中に
仙石秀久、そして忠政、政俊三代の霊廟がある。左後方には祖父秀久と秀久の長子久忠や秀久側室の墓もある。
他の見どころ
御朱印
浄土宗のため、御朱印は応じていません。
そもそも浄土宗は、「浄土」と呼ばれる仏の国に赴き、そこに新たな命を得ることを願うことであって、逆に言うと現世における利益を重視していないためだそうです。
アクセス
上田菅平I.C.から車で15分
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